お茶のこさいさい

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泣ける話

427: 彼氏いない歴774年 2012/03/14(水) 23:32:04 ID:4mB7Jvz7
自分というか母親なんだが 
母が飲食スペース併設のパン屋でカウンター席に座ろうとしたら 
隅っこにとても暗い顔をした就活生がいてあまりにつらそうな顔をして 
パンを食べていたから話しかけたらしい  

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958: 1/3 2006/02/24(金) 04:22:06
254 :本当にあった怖い名無し :05/03/06 17:06:39 ID:cLi7MPvc0 

おかんが癌で亡くなって6年になる。 
癌を見つけたときにはもう余命一年の宣告。親父と相談の上、 
おかんには告知しなかった。一年、騙し続けた。 

私はその時二番目の子供を妊娠中。大きい腹でおかんの病室に通った。 
ある日おかんが私の腹をなでて、まだ見ぬ孫の名をつけて呼んだ。 
おかんの死後、丁度一ヶ月の日に娘は生まれた。 
母が呼んでくれた名前を娘につけた。 
すごく愛しそうに呼んでくれた名前だから、迷わなかった。 

349: このスレ見てたら思い出した。 02/05/02 04:35 ID:???
去年の夏。 
飼っていたハムスターに腫瘍が出来て、手術したのを引き取りにいった時だった。 
病院に入る前はカンカン照りの青空だったんだけど、出てくる時には 
すっごいどしゃぶりの雨。どう見ても通り雨じゃない。天気予報を呪った。 
でも、病院の中で待とうか?とも思ったけどイパーイでとても居られそうに無い。 

でも外に出るにも術後のハムを雨に濡らすなんて冗談じゃない。 
しかたないから着ていた男物のサマーセーターのお腹でハムゲージをくるみ 
10m程離れた小さなラーメン屋さんの軒下を借りてタクシーを待つ事にした。 

864: 名無しさん@HOME 2013/05/10(金) 17:34:50
駅で具合悪そうにしている女性がいたので心配で声をかける 
 →痴漢と間違われて周囲に通報されたのか駅員に押さえつけられる 

555: おさかなくわえた名無しさん 2009/02/21(土) 03:08:07 ID:dBh/gk3m
和みとは違うかも知れない。 

小学生の頃、アメリカ人の女の子が転入してきた。 
彼女は凄く大人しい性格で、日本語がわからず喋れず、 
田舎だった為か周りも「外人」ってだけでなんか敬遠してしまい、彼女はいつも一人でいた。 

転入してきて暫く経った頃、私は授業中にプリントの切れ端で鶴を折った。 
折った後、物凄い視線を感じて振り向くと、彼女が目をキラキラさせてた。 

418: なごみ 2012/11/20(火) 09:32:20 ID:P5cgPZZU0
640 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage New! 2005/05/26(木) 21:42:58 ID:RcpMc1p00 

大学生のとき、一人暮らしのアパートを引っ越すことになった。 
友人数人と、電車45で分ぐらい離れた実家から姉が手伝いに来てくれたのだが、なぜか姉はデカイ荷物持参。「?」と思いつつ作業を開始し、昼飯時。 
コンビニや食べ物屋に行くのも大変な田舎のこと。しかし俺は見栄はって、 仕出屋に寿司の出前を頼んでおいた。友人らには大好評。  

979: 名無しさん@おーぷん 2015/11/18(水)00:01:33 ID:GYJ
私の黒い過去は養父は本当は結婚させられるはずの相手だったこと。
親に養父の家(第一次産業)に売られた。

養父は
「今更家にも戻れないだろう、うちも早朝は切実に人手が足りない。
 まさか15歳の女の子に俺の年(当時養父40過ぎ)で手を出したりしないし昼間は高校に行かせるから働いて手伝ってくれ」と言われた。

952: 名無しさん@HOME 2012/03/13(火) 19:03:31
祖父母は、孫の私から見ても仲の良い夫婦だった。特に祖父が、天然風味の祖母にベタ惚れ。 
明治生まれのかくしゃくたる厳しさを持ちながらも、祖母をいつもエスコートしていた。 
そんな祖父が寝たきりになった時、祖母はいつも、隣に寄り添って話しかけていた。 
祖父はもう言葉もわからくなっており、自宅で寝たまま、死を待つばかりだったんだけどね。 

202: 名無しさん@おーぷん 2014/10/22(水)10:38:43 ID:kLZkQKUmk
某所で崖から転落した車が発見された。発見したのは8歳の男の子。
救急隊員が車を運転していた外国人男性と助手席に乗っていた女性が死んでいるのを確認。
後部座席にいた5歳の女児はまだ生きていた。女児はすぐさま病院に運ばれた。


この女児は30年前の私。もう事故の様子は鮮明に覚えていて、落ちはじめの浮遊感、落ちた瞬間の衝撃は今でも忘れない。
しばらく両親は生きてた。母の○○ちゃん、○○ちゃん、大丈夫だからねと言う声が聞こえてきた。

両親どちらも座席から動けず、声だけで生存確認している状況だった。
次第に両親の声が聞こえなくなってきた。私もなんだか眠い。
そんなときに聞こえてきたのが、男の子の声だった。
高い場所から叫んでいたので、うっすらとしか聞こえなかったが、私達がここにいるのに気がついてくれた。

773: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/20(火) 10:20:20
長文だが投下させて下さい。 


昨年、突発性難聴と診断された妻。病院に通って服薬治療を続けてきた妻だったが、とうとう先週「このままの聴力で安定して行くでしょう。」と言われて帰って来た。 
きっとショック受けてんだろうなーと家に帰ったが、いつも通りのあっけらかんとした妻だった。